五反田団について

ごたんだだん

この、劇団の独特な響きが好きだ。

違う世界線で無邪気な小僧が知らない校舎の廊下を駆け抜ける音みたいだ。

イノセンスに突き放してくるものだから

いたずらに覗きたくなってしまう。

ある日の昼下がり、私は、ふと、昔とある劇場で手に取ったチラシに記載されていた劇団名がその響きと共に10数年ぶりに頭をよぎった。なんの気なしに唐突に。

それが五反田団だった。

チラシにはたしか当時のよくわからない小劇団が多数、いっぱいに記載されていた。

そこに記載されていた五反田団のメッセージも

芋づる式に思い出した。

うろ覚えだけど劇団のアピール尻目に

自身の年収が15万とか

頑張りますとか

火事に気をつけましょう、とかそんな感じにある意味淡々と書かれていたと思う。

他の劇団名はもちろん、その時に観た劇の内容や劇場さえ今やすべて忘れてしまったけれど

その独特な劇団名とちょっぴり胸騒ぎしてしまう様なその紹介文だけ、何故か10年ほど経っても覚えていたのだ。ごたんだだんごたんだだん、ごたんだだん‥

時を超えてやってきた心踊る語感と響き。

あれからもうだいぶ年月が経っている

あの五反田団とかいう劇団、どうなって

いるのだろう。

インターネットで検索してみると期待を裏切らなかった。

劇団は現在もなお、10年程経ったいまも愉快にそして快活に発展をとげて展開していた。

私は、脳みそのどこかにスイッチが入ってしまった。

去年の「五反田怪談」から約1年ぶりに今回の「偉大なる生活の冒険」に足を運ぶ。

やっぱり文句なしに楽しい。

開演前、あの歌人枡野浩一さんが先手を取って適切にお客様を誘導したりアナウンスしたりしている。あの、千里眼のありそうな特徴的な細い目をそばで眺められるなんてラッキーだ。

舞台はうだつの上がらないゲーマーのヒモ男とヒステリックな美女を筆頭に

もうこの世にいない妹や頓知のきいたアンちゃんなんかがでてきたりする。それぞれのキャラクターのセリフがいちいち面白い。

開演からここが舞台で演劇だということ

自分が椅子に座っているということ

忘れさせる瞬間が他のエンタメとは

違うまじないを感じる。

規模のでかいどっかの劇場やコンサートも

ロサンゼルスのディズニーランドみたいで

まぁ素敵だけれど、五反田団は観劇しているとき、あるきれいな海に浮かんでいるような気分にさせる。

遠くに見える何かを離島にみたてたり

なんども砂浜の柔らかさを足の裏でたしかめたりするような‥。

とても良い観劇だった。ひとり静かに心に留めたいから見終わった他のお客さん達の感想を聞きたくなく、早歩きで劇場を出た。

あと、また絶対来るから次に寄れるようなコンビニと喫茶店を確認しながら家路についた。

 

 

 

アフリカ最大級の音楽フェスティバル

 子供のころ、通学路に立ち入り禁止と立て札のあるわりと大きな畑があった。

ある日の下校途中、何のことは無いだろうとそこへ友人と柵をすりぬけて入ってしまった。そこは、まだ土を耕している状態の畑で、何を育成しているのかはわからないけれど、広々と規則正しい土の凹凸が長い縞をつくっていた。そばには水の流れが緩やかな川があった。

畑の脇には大人が入れるか入れないかくらいの落とし穴があった。友人と私はランドセルを置き、好奇心でその洞穴に入り込んだ。

飛び込んだものの、それ程の深さはなく、空洞は真横にひとまわり小さくつながっており、その空洞を今度は四つん這いになって進んだ。

全くの暗闇ではなく、向こう側が丸く光っていた。ドキドキ恐がりながらもずんずん進んだ。

穴は、奥に進むにつれてどんどん狭く窮屈になっていった。すると、だんだん水の音が聞こえてきて、とうとう丸い光の出口に首を突っ込むと、そこは、さっき畑のそばにあった川だった。顔のすぐ真下に少し生臭い水がゆっくりと流れている。川の側面に顔をひょっこりと出している状態なんだと気づく。

そのまま、後ずさりして洞穴のいちばんはじめのポイントに戻り、何とか地上に戻った。

私と友人は「大冒険だったねー!」などと興奮しながら黄昏時の下校ルートに戻った。

 

要するにあれは畑の用水路を作る途中だったのだ。

おそらくあの造りからすると、コンクリートだの地盤だの土木工学全く無視した、ただ何かで土を掘り起こしただけの、畑の所有者が自由に作った洞穴で、もしもどこかが緩かったら生き埋めになってもおかしくなかったんじゃないかなと思う。「立ち入り禁止」という札や柵は畑を守るためだったのではなく、その脇にある落とし穴のような造りかけの用水路に、通学路の子供を寄せ付けないためだったのではないだろうか。

 

あの時はただただ愉快にはしゃいでいたけれど今思うと恐ろしい、ひょんなことからふと思い出してしまったゾッとしてしまう遠い子供の頃の記憶。

東京ネズミーランドへ行った

平日に有給を取って友人とネズミーランドに行った。ファンタジックに作り込まれた広大な風景に、何だか海外へ行きたくなっちゃったり、沢山のお金をつぎ込むネズミーマニアに思いを馳せたり‥およそ10年ぶりくらいに来てそうそう、この感じって、記憶がよみがえってくる。久々のアトラクションも中々感慨深い。どう猛に暴れる、またはネジが1本も2本も抜けてるようなつくりものの眠そうな人や動物がくるくると動く。よく見ると茂みの奥に灯りのついた民家があったり、遠くに見えるほったて小屋にも人影が動いていたりとほんの一瞬の風景が至って細かい、本当に人が住めそうってやっぱりいちいち感動してしまう。バブルが弾ける前の、日本にお金がたっぷりあった夢と才能がはちきれそうな時代に作られたもの特有の面影をそこかしこに感じた。工場の様子をひたすら映したDVDがあるらしいけど様々な遊園地の、例えば閉園後の薄暗いアトラクションをひたすら映したDVDもあると良いと思う。日本がダメなら海外とか。あるいは、閉園後の遊園地のアトラクションをメンテナンスをする人々の人間ドラマを映画化するとかさ。おぉこりゃ、ひょっとしてもしかして売れるんちゃうか?

帰りの電車で地元の駅に着いた時、やっぱりあぁ、娑婆だ‥って思った。歩道のツツジにからまる、クリスマスの使いまわしの豆電球にエレクトリカルパレードで多分いちばん最後に生き残った妖精が私にちいさく手を振っていた。

五反田怪談2018を観た

五反田怪談2018を観に行った。五反田団とは

1997年、作・演出の前田司郎さんが旗揚げした主に東京の五反田で稽古をしている劇団だ。

五反田で降りるのさえ初めてだったのだが、五反田の街並みと劇場に足を踏み入れただけで「あっこれは当たりだ!」と直感した。劇場受付のフロアからしてもうストーリーが始まっていた。

古いような新しいような世界観を感じる椅子やテーブルの素材と配置。

天井にはアルミのむき出しの配管。

どこか懐かしい色調。

そして思惑どおり劇が始まると時間を感じなかった。中身は割愛するが、劇が終わり、電車に乗っている間も、あの数人の、妙齢の劇団員たちともっと同じ空間にいたかったと願う自分がいたりした。興奮していた。

ありがとう五反田団

私はただのOLです。

春が来つつある。風に棘がなくなった気がする。80歳位になっても月9の始まりの様な、まるで空気がふざけてるようなその年はじめての春の宵に(あっこれは春が来る。そうそう、春の夜風はこう、だったよねぇ)っていちいちハッとさせられて感じていられたらいいな。就寝するための真っ暗な部屋の中でさっき目が覚めてしまいそれから中々眠れず、色々考えたり思い出しながらひとりバカ笑いしてる、バカ笑いが暗闇の中で影絵のような可愛い幾何学模様になってゆく。短い夢を見たような気がする、夢の中でもオフィスでコピーをとったりデータ入力したり課長におそるおそる承認印を貰おうとしていた気がする。 次は生活を綴った写真と文を本にしたいな、となんとなく考えている。 それは架空の誰かかもしれないし私自身かもしれない。半年後には出したいな。今、構想を練っている‥!